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食文化のフロンティアストーリー
文明開化の横浜
「士農工商、老若男女、賢愚貧福おしなべて牛鍋食わねば開花不動奴(ひらけぬやつ)」(仮名垣魯文『安愚楽鍋』)
この言葉に象徴されるように、明治時代の日本には、それまで見たこともなかったものに積極的に触れ、試してみようという精神が横溢していました。
明治屋の創業者 磯野 計が、英国留学によって得た体験をもとに横浜に明治屋を創業したのは明治18年(1885年)のことでした。
「商業に貴賤の別があるものか。食料品の商業を必ずノーブルなものにしてみせる」という意気込みを胸に、日本郵船の船舶への食料品、雑貨納入などを手がけました。
創業者 磯野 計
明治24年、横浜のメインストリート
本町1丁目13番地に新築された社屋
この当時明治屋が輸入提供していた商品は世界の一流品ばかりでした。そのため、明治屋の輸入商品が流通するのは上流社会に限定されていました。
しかし時代が下るにつれ庶民の食卓に上る商品も徐々に増加。明治の後期には食パンに蜂蜜をつけて焼いたものが庶民の間で大流行しましたが、コーヒーや蜂蜜など、洋食に欠かせない商品を率先して輸入したのも明治屋でした。
大正時代になると、庶民の生活にも大きな変化が出てきました。その一つとして外食がさかんになったことが挙げられます。ヨーロッパ帰りの文士や画家、モボ・モガの溜り場となったカフェがハイカラ文化を発信する中心的な役割を担う一方、西洋料理店は洋食を日本人の味覚にあうように改良し、全国に広めていく役割を担っていました。
明治屋が新しい洋風喫茶「カフェ・ユーロップ」を銀座に開店したのは、大正8年(1919年)のことでした。ドイツ人カール・ユーハイムを製菓部主任に迎えたこの店は、ハイカラの味を手軽に味わせてくれる店として人気を博します。
大正期の喫茶店
特製「名誉月桂冠」瓶詰
ほぼ同時期に、明治屋は壜詰め日本酒「名誉月桂冠」の一手販売契約を大倉恒吉商店(現・月桂冠株式会社)との間で結びました。
樽詰めが主流の時代に敢えて明治屋が壜詰め清酒に挑戦したのには理由がありました。
それは、防腐剤を一切含まない清酒を販売でき、かつ、流通の過程で目減りさせることなく消費者に届けられるからでした。
西洋・東洋の食文化の融合が進んだこの時代、明治屋は品質本位の姿勢を貫くことで、取引先や消費者との間に信頼関係を築いていったのです。
昭和は、第二次世界大戦を境に食文化が大きく変化した時代です。
戦中は農業従事者が激減し、その結果、誰もが毎日の食事に事かくようになりました。
しかし戦後は目覚ましい復興を遂げ、「もはや戦後ではない」と言われた昭和31年(1956年)頃からは、高度経済成長期に突入。食生活は豊かになり、家族で食事を楽しむことが増えていきました。
昭和5年、東京支社
クリスマスデコレーション
![]() マイラック(昭和35年) | |
![]() マイコンビーフ (嗜好400号掲載 昭和31年) | ![]() マイコーラ (嗜好400号掲載 昭和33年) |
日本の食文化が欧米型へと移行し始めた昭和30年代、ジュース、ピーナッツバター、コンビーフなど欧米風の食事に欠かせない食品を明治屋は「MYブランド」として次々に発売しました。これらの製品には、明治屋らしいこだわりが3つありました。1つめは「高い品質」。
時代が変わってもこれだけは変わることがありません。
2つめは「洗練されたデザイン」。この頃の製品にしては珍しく、「マイラック」のプロダクトデザインはアメリカの有名なデザイナーであるウォルター・ランダーが手がけました。
そして3つめが「幅広いバリエーション」。豊かな時代の多様なニーズに応えるため、幅広いMYブランド製品を展開しました。この当時発売されたMYブランド製品の中には、その後も継続的な改良と工夫を重ね、現在も愛用されているものが数多くあります。
令和の現在、私たちの食卓には世界各国から集まってきた食品が並び、和食だけでなく、洋食・中華・イタリアン・エスニックと、非常にバラエティに富んだ食生活を楽しくことができるようになりました。
しかしその一方、食の安全や健全な食生活に対する関心が高まり、食品に携わる企業の姿勢が改めて問われる時代になってきました。
創業以来、130有余年の歴史を持つ明治屋は、現在、全国の明治屋ストアーを中心とした小売業、MYブランドの生産を軸とする製造業、食品および酒類の輸出入を行う貿易業、船舶への食品や船用品を納入するシップチャンドラー業、並びに機械類の輸入業の5つの事業を展開しています。
明治屋は創業以来堅持してきた確かな品質を安心をモットーに、より多くのお客様に喜んで頂ける高品質な食を提供するため、日々努力を重ねています。
そしてこれからも、創業者磯野計から脈々と受け継がれてきたフロンティア精神のもと、「いつも いちばん いいものを」を追及し続けて参ります。
創業者 磯野 計の時代から脈々と受け継がれてきたフロンティア精神のもと、
これからも明治屋は「いつも いちばん いいものを」を追求し続けて行きます。