
バーボン界でいまや“名酒”ときこえの高いメーカーズマーク。現在でも、機械による大量生産に走らず、ひたすら生きた人間の手づくりだけにこだわり続ける。あの特徴あるボトルには良いものを頑固に追及してやまないサミュエルズ父子2代のスピリッツと、磨き抜かれた伝統が見事に封蝋されている。 バーボンの歴史をひもときながら、あくまでも“本物”にこだわるメーカーズマークの世界を追ってみた。
バーボンはアメリカで誕生し、その歴史は1800年代初頭にさかのぼる。西部開拓と深く結びついたアメリカを代表する飲み物である。バーボンと言えばきつい喉ごしと胃のあたりが熱くなるような感覚で知られ、アメリカン・カウボーイを髣髴とさせる粗削りな武骨さが持ち味となっていた。
禁酒法が施行された1920年までは全米に確固とした市場を確立していたが、禁酒法によってアルコールが禁制品になると、おもだったメーカーはひとつ残らず廃業に追い込まれた。1933年、禁酒法が廃止されると、市場に怒涛のようになだれ込むカナダやスコットランドのウイスキーに対抗するため、ケンタッキー州のバーボン・メーカーは先を争って出荷に乗り出した。ところが、熟成期間が2年以下のものが大半を占めていたため、バーボンのイメージアップにはつながらなかった。1940年代、依然としてバーボンは強いだけであかぬけない飲み物のままだった。
1940年代から50年代にかけて、バーボン・メーカー乱立の時代が到来する。メーカー側の宣伝力の乏しさにもかかわらず、ブラウン・スピリッツの隆盛に乗りバーボンは売り上げを伸ばすが、スピリッツ部門においては廉価品だった。しかし、50年代半ばに洗練された口当りのよいウイスキーが登場し、従来品とは一線を画しはじめる。メーカー間の合併が進んで銘柄が絞り込まれ、ジム・ビームやテネシー州のジャック・ダニエルズといった大手がアメリカを代表するバーボン・メーカーへと成長していった。
サミュエルズ家におけるウイスキーの歴史は1780年に始まる。その年、スコットランド系のアイルランド人、ロバート・サミュエルズがケンタッキーにやって来た。農夫だった彼は、自分とごく近しい友人のためにバーボンづくりを始めた。そして1840年、孫の T.W.サミュエルズの代になって初めて営業目的の蒸留所が建てられた。
彼は、祖父や父と同じように門外不出の製法を息子に伝え、T.W.サミュエルズから数えて4代目のビル・サミュエルズ・シニアの時代を迎える。サミュエルズ家のウイスキーは可もなく不可もないものだったが、一家は長年にわたってかなりの財をなしていたし、市場も安定していた。しかし、ビル・サミュエルズ・シニアは現状に甘んじることができなかった。彼は世界に通用するバーボン、洗練されたスコッチウイスキーと肩を並べうるバーボンをつくろうと一大決心をしたのだ。

バーボン・メーカーとして、商業を目的にサミュエルズ家初の蒸留所を1840年に創設したT.W.サミュエルズ(写真は1844年頃撮影)とそのボトル。

アメリカ南北戦争の最後の降伏者として有名なジェシー・ジェイムスとフランク・ジェイムスはサミュエルズ家の親戚。

ケンタッキー・バーズタウン郊外に建てられたT.W.サミュエルズ ディスティラリー
(写真は1896年当時の蒸留所。Dixie Hibbs著「IMAGES of America BARDSTOWN」より)